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大阪地方裁判所 昭和62年(ワ)6446号 判決

原告

萬藤俊一郎

ほか一名

被告

株式会社東伸熱工倉庫

ほか一名

主文

一  被告らは、各自、原告萬藤俊一郎に対し、九〇一万五六八九円及びこれに対する昭和六〇年一月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告萬藤俊一郎のその余の請求及び原告萬藤賀寛の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを九分し、その一を被告らの、その余を原告らの各負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮りに執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自、原告萬藤俊一郎に対し、七八一七万六九一九円及びこれに対する昭和六〇年一月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告らは、各自、原告萬藤賀寛に対し、三三〇万円及びこれに対する昭和六〇年一月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  交通事故の発生

(一) 日時 昭和六〇年一月一五日午後三時三〇分ころ

(二) 場所 大阪府東大阪市水走五〇〇番地先路上(以下、「本件事故現場」という。)

(三) 加害車両 大型貨物自動車(登録番号、大阪一一な八三八二号、以下、「宮田車」という。)

右運転者 被告宮田耕作(以下、「被告宮田」という。)

(四) 被害車両 自動二輪車(登録番号、大阪る三五一六号、以下、「原告車」という。)

右運転者 原告萬藤俊一郎(以下、「原告俊一郎」という。)

(五) 態様 本件事故現場の交差点(南北道路と西方からの交差道路よりなる三叉路)を南から北へ直進中の原告車と、折から右交差道路を西方から東進してきて右交差点を南方向へ右折しようとした宮田車とが衝突した(以下、「本件事故」という。)。

2  責任原因

(一) 被告株式会社東伸熱工倉庫(以下、「被告会社」という。)の責任

被告会社は、本件事故当時、宮田車を所有し、これを自己のために運行の用に供していたから、自動車損害賠償保障法(以下、「自賠法」という。)三条に基づき、本件事故により原告らが被つた損害を賠償する義務がある。

(二) 被告宮田の責任

被告宮田は、宮田車を運転し、前記西方からの交差道路を東進してきて本件事故現場の交差点を南方向へ右折しようとしていたものであるが、このような場合運転者としては、南方から直進してくる車両の有無・動向に注意して安全を確認すべき注意義務があつたにもかかわらずこれを怠り、漫然と右折を開始した過失により、本件事故を発生させたものであるから、民法七〇九条に基づき、本件事故により原告らが被つた損害を賠償する義務がある。

3  損害

(一) 受傷、治療経過等

(1) 受傷

原告俊一郎は、本件事故により、左肩、左上腕及び左膝打撲、左膝関節半月板損傷、頸部挫傷等の傷害を受けた。

(2) 治療経過

原告俊一郎は、前記傷害の治療のため、医療法人藤井会石切生喜病院(以下、「石切生喜病院」という。)整形外科に次のとおり入通院して治療を受けた。

〈1〉 昭和六〇年一月一五日から同月二三日まで入院(九日間)

〈2〉 昭和六〇年一月二四日から同年二月二六日まで通院(実通院日数二二日)

〈3〉 昭和六〇年二月二七日から同年五月一一日まで入院(七四日間)

〈4〉 昭和六〇年五月一二日から同年七月一二日まで通院(実通院日数四三日)

〈5〉 昭和六〇年七月一三日から同年八月三一日まで入院(五〇日間)

〈6〉 昭和六〇年九月一日から昭和六一年一〇月三日まで通院(実通院日数一六一日)

なお、〈3〉の第二回目の入院は、左膝の痛みと関節可動域の制限のために松葉杖がなければ歩行できない状態にあつたのと、半月板損傷の有無を確認する関節造影検査を行うために入院の必要があつたので、病院の指示で入院したものであり、〈5〉の第三回目の入院も頸部痛及び視力障害の治療のため、病院の指示で入院したものである。

以上のほかに、原告俊一郎は、頸部挫傷ないしは本件事故で受けた精神的ストレスによる自律神経失調症に起因する両眼の調節機能障害(高度な調節痙攣)とそれに伴う視力の低下に対する治療のために昭和六一年三月二七日から同年七月二日まで川口医院に(実通院日数九日)、同年四月一五日から同年九月一二日まで近畿大学医学部附属病院眼科に(実通院日数七日)それぞれ通院した。

(3) 後遺障害

原告俊一郎は、本件事故による(1)の受傷について、(2)記載のとおり治療を受けたが、完治するに至らず、次のとおりの後遺障害を残して、昭和六一年一〇月三日(但し、視力障害については同年九月一二日)、その症状が固定した。

すなわち、原告俊一郎は、頸部の可動域が、前屈三五度(正常可動域は六〇ないし六五度)、後屈三〇度(同五〇ないし五五度)、右屈・左屈とも二五度(同五〇ないし五五度)、右回旋・左回旋とも四五度(同七〇ないし七五度)と、健常者に比べて前・後屈で五分の三以下、側屈で二分の一、回旋で約五分の三にそれぞれ制限されており、事故前には両方とも約五〇キログラムであつた握力が右二〇キログラム、左二四キログラムに低下しているほか、頭痛、頭重感、頸部痛、頂部の鈍痛、両上肢のしびれ等があつて、全身倦怠感がとれず、根気力・集中力がなくなるという後遺障害が残つているのであるが、X線写真上も環椎(第一頸椎)と軸椎(第二頸椎)の歯状突起との間隔が左右非対称で、環軸関節の亜脱臼が疑われており、第四・第五頸椎椎体にも変形が見られ、右神経症状はこれに起因するものである。

さらに、原告俊一郎は、本件事故以前には両眼に調節異常はなく、視力も両眼とも裸眼で〇・七前後であつたのに、調節力が右二・五〇D、左四・〇〇Dと原告俊一郎と同年齢の健常者の二分の一以下に減退し、視力も両眼とも裸眼で〇・〇三、矯正で〇・〇六に低下している。

なお、以上の原告俊一郎の後遺障害については、自賠責保険において、頸部挫傷に起因する神経症状は自賠法施行令二条別表の一四級一〇号に該当するものの、両眼の調節機能障害及び視力低下は本件事故と因果関係がないとの認定がなされているが、頸部の神経症状は、前述のとおり、X線写真上の他覚所見を伴うものであるから同一二級一二号に、視力障害は、前述のとおり、本件事故に起因する自律神経失調症によつて生じたものであるから、本件事故と相当因果関係のある後遺障害であつて、同四級一号にそれぞれ該当し、以上の後遺障害は同併合三級に相当するものである。

(二) 原告俊一郎の損害額

(1) 治療関係費 四〇二万三五九四円

原告俊一郎の前記治療のために以下のとおりの治療費その他の費用を要した。

〈1〉 治療費(石切生喜病院) 三六九万六八四四円

〈2〉 同(川口医院) 七万八〇六〇円

〈3〉 同(近畿大学医学部附属病院) 一万一二九〇円

〈4〉 整体施術費 二〇万円

〈5〉 眼鏡代 三万七四〇〇円

(2) 付添看護費 五九万八五〇〇円

原告俊一郎は、前記入院期間(一三三日)中、付添看護を必要とし、近親者による付添看護を受けたので、一日当たり四五〇〇円、計五九万八五〇〇円相当の損害を被つたものというべきである。

(3) 入院雑費 二〇万七六五〇円

原告俊一郎は、前記入院期間中、テレビ賃料として三万四七五〇円を要したほか、少なくとも一日当たり一三〇〇円の雑費を要し、その合計額は二〇万七六五〇円となる。

(4) 交通費 一四三万二三四〇円

原告俊一郎は、前記受傷による歩行困難のため、通院及び通学にタクシーを使用し、その費用として合計一四三万二三四〇円を要した。

(5) 休業損害 六五万円

原告俊一郎は、本件事故当時、プラスチツク成型工のアルバイトに従事していたところ、本件事故による前記受傷のために休業を余儀なくされ、合計六五万円の右アルバイト休業による損害を被つた。

(6) 後遺障害による逸失利益 五一九一万四九六七円

原告俊一郎(昭和四二年一一月四日生)は、本件事故当時、東大阪市立日新高等学校普通科(全日制)二年に在学中の健康な男子で、大学への進学を希望していたから、本件事故に遭わなければ、平成二年三月に二二歳で大学を卒業して、同年から六七歳まで四五年間稼動することができ、その間昭和六〇年賃金センサス第一巻第一表の大学卒二二歳男子労働者の平均年収である二四二万六五〇〇円程度の収入を得ることができるはずであつたところ、本件事故による前記後遺障害のために労働能力の一〇〇パーセントを喪失した。そこで、右収入額及び就労可能期間を基礎に、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、前記後遺障害による逸失利益の症状固定時(症状固定時には一八歳一〇月であるので一九歳として計算する。)の現価を算定すると五一九一万四九六七円(一円未満切り捨て)となる。

(計算式)

2,426,500×1.00×(24.126-2.731)=51,914,967

(7) 慰謝料 一八〇〇万円

原告俊一郎が前記受傷のために受けた肉体的・精神的苦痛に対する慰謝料は、入通院に対する分として二〇〇万円、後遺障害に対する分として一六〇〇万円、合計一八〇〇万円が相当である。

(8) 弁護士費用 八〇〇万円

原告俊一郎は、本件訴訟の提起及び追行を原告ら訴訟代理人に委任し、着手金として一〇〇万円を支払うとともにその費用及び報酬として七〇〇万円を支払うことを約した。

(三) 原告萬藤賀寛(以下、「原告賀寛」という。)の損害額

(1) 慰謝料 三〇〇万円

原告賀寛は、原告俊一郎の父として長男である原告俊一郎の将来に格別の期待を有していたところ、本件事故により原告俊一郎に重篤な後遺障害が残り、その将来を奪われたことで原告俊一郎が死亡した時にも比肩しうべき精神的苦痛を受けたから、これに対する慰謝料としては三〇〇万円が相当である。

(2) 弁護士費用 三〇万円

原告賀寛は、本件訴訟の提起及び追行を原告ら訴訟代理人に委任しその費用及び報酬として三〇万円を支払うことを約した。

4  損害の填補 六六五万〇一三二円

(一) 原告俊一郎は、被告らから、本件事故によつて被つた前記3(二)の各損害につき、(1)〈1〉のうち昭和六一年一月一〇日までの治療費三五四万五六四二円、(3)のうちテレビ賃料分の三万四七五〇円、(1)〈4〉、(1)〈5〉、(4)及び(5)の全額、合計五九〇万〇一三二円の支払を受けた。

(二) さらに、原告俊一郎は、本件事故につき、自賠責保険から七五万円の支払を受け、これを請求原因3(二)の各損害額合計から(一)の支払額を控除した残額に充当した。

よつて、原告俊一郎は、被告ら各自に対し、七八一七万六九一九円及びこれに対する本件不法行為の日である昭和六〇年一月一五日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、原告賀寛は、被告ら各自に対し、三三〇万円及びこれに対する前同日から支払ずみまで前同割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告らの認否及び主張

1  請求原因1は認める。

2  同2は認める。

3  同3(一)(1)のうち、原告俊一郎が本件事故により、左肩、左上腕及び左膝打撲並びに頸部挫傷の傷害を受けたことは認めるが、左膝半月板損傷の傷害を受けたことは否認する。

左膝半月板損傷は石切生喜病院への第二回目の入院の際にその存在が疑われたが、後日の関節造影検査の結果によつて否定されている。

4  同3(一)(2)(3)のうち、原告俊一郎が(2)記載のとおりの入・通院をしたこと、原告俊一郎の頸部に神経症状が残存している(但し、後述のとおり、自賠法施行令二条別表の一四級に該当するにとどまるものである。)ことは認めるが、右症状が昭和六一年一〇月三日に固定したとする点及び本件事故によつて原告俊一郎にその主張のような両眼の調節機能障害及び視力低下が発生したとの点は否認し、その余の事実は不知。石切生喜病院における第二、第三回目の入院治療及び昭和六一年一月一一日以降の治療については、その必要性を、原告俊一郎の頸部の神経症状については、自賠法施行令二条別表の一二級に該当するとの点を争う。

第二回目の入院は左膝半月板の損傷を疑つたことによる関節造影検査のためのもので、右検査の結果損傷の存在が否定されたことから昭和六〇年四月二日には退院を指示されているうえ、右入院の契機となつた左膝痛の訴えは単なる打撲傷の痛みとしては長すぎ、左膝関節の可動域の制限も下半身麻痺下では全く見られないことからも、痛み自体が心因性のものと考えられ(原告俊一郎は精神的に脆弱で母親の神経質な性格に強く影響されており、さらに当時は両親の離婚問題のために家庭に居づらい状況であつた。)、入院中もしばしば外出していることに照らしても、本件事故による原告俊一郎の前記受傷に対する右入院治療の必要性は存しないし、第三回目の入院も後述のとおり本件事故との因果関係の認められない視力障害の検査のためのものであるうえ、この入院期間中も三、四日に一回は外出を繰り返しており、七月二四日には眼底検査の結果により異常所見のないのが確認されているにもかかわらずその後も入院を継続していることからも、その必要性は存しないというべきである。

原告俊一郎の神経症状については、石切生喜病院において、これ以上治療を続けても改善される見込はないとして昭和六一年一月一〇日をもつて症状固定とする旨の診断書が発行されており、カルテの記載上も同日以前から症状に変化は見られず、同日をもつて症状が固定したと見るべきである。なお、同年一〇月三日を症状固定日とした診断書も存在するが、右は近畿大学医学部附属病院の眼科で症状固定と診断されたのに合わせて書き直したのにすぎず、また、原告らはX線写真上の異常所見の存在を主張するが、石切生喜病院の藤井弘一医師が異常所見として指摘するものは整形外科医のすべてが異常所見と指摘するほど明白なものではなく、仮に環軸関節の非対称性が認められるとしても、右は直ちに神経症状を呈するようなものとはいえないうえ、先天性のものも存在するのであるから、右所見が本件事故によつて発生し、神経症状の原因となつているとする根拠に乏しく、かえつて同病院の初診時の担当医で整形外科の専門医である山本春夫医師は、X線写真上に何らの異常所見も指摘していないことに鑑みると、原告の神経症状は他覚的所見を伴わないものとして同一四級一〇号に該当するにとどまるものというべきである。

さらに、両眼の調節機能障害及び視力低下についても、眼科上の他覚的異常所見は全く認められておらず、仮に原告俊一郎主張のような症状があるとしても、頸部の挫傷に起因して視力障害が発症する場合は、通常であれば受傷から一か月前後で発症しているのに、原告俊一郎が右症状を訴え始めたのは昭和六〇年七月からであり、しかも、調節力の測定値には変動が大きく、昭和六一年一〇月七日の検査結果では右七・五D、左九・八Dと改善されており、自動屈折率測定器のデータにもふらつきが見られること、ヒステリー性の視力障害の特徴である螺旋状視野狭窄が認められること、さらに入院中の様子からも原告俊一郎には本件事故自体からストレスを受けている様子は殆ど認められない一方、原告俊一郎は厳格な父と神経質な母、両親の離婚というような家庭環境による継続的な精神的ストレスを受けていること(入院中の原告俊一郎の自己の病状を深刻に受け止めていない態度は、問題のある家庭環境から離脱して、むしろ右ストレスから開放されていることを示しているものと考えられる。)、近畿大学医学部附属病院精神科において右ストレスの内容に関連したカウンセリングを受けた後の検査では調節力の測定値が劇的に改善していることなどの点に鑑みると、原告俊一郎の視力障害は、右の家庭環境によるストレスに、自分を「弱い子」と規定して神経質な母親に依存し、これに強く影響される原告俊一郎の精神的な脆弱さが加わつて本件事故と関係ない心因性のものとして発症したものとみるべきである。原告俊一郎の視力障害が本件受傷による自律神経失調症に起因するとの近畿大学医学部附属病院大鳥利文医師の診断は、頸椎にX線写真上も異常所見が存在することを前提として消去法的になされたものと考えられるから、前述のとおり右前提が誤りである以上、採用されるべきではない。

5  同3(二)(1)のうち、〈4〉〈5〉は認め、〈1〉ないし〈3〉については支払の事実は認めるが、〈2〉〈3〉の全額及び〈1〉のうち第二、第三回目の入院関係費合計一四八万七四二〇円につき、その必要性を争う。

6  同3(二)(2)は必要性を争う。

7  同3(二)(3)については、テレビ賃料分の三万四七五〇円と第一回目の入院期間九日間につき九〇〇〇円(一日当たり一〇〇〇円)、合計四万三七五〇円の限度で認め、これを越える部分は争う。

8  同3(二)(4)は争う。

原告俊一郎には、前述のとおり何ら他覚的所見はなかつたうえに、第二回目の入院期間中の昭和六〇年三月中には九日も外出ないし不在の日があり、同年四月二日には退院を指示されていたほどであるから、同月八日以降の通学にタクシーを利用する必要性はなかつたというべきである。

9  同3(二)(5)は認める。

10  同3(二)(6)は争う。

原告俊一郎は一四級相当の頸部神経症状により、症状固定後二年間にわたつてその労働能力の五パーセントを喪失したにすぎない。仮に原告俊一郎の視力障害が本件事故によるものであるとしても、右視力障害は、原告俊一郎の日常生活に殆ど支障はなく、職業選択に対する影響についても、現に原告俊一郎は視力障害の発症後である昭和六一年三月の高校卒業時に旅行業関係の専門学校を受験しているうえ、原告俊一郎自身小学校時代から接骨医に憧れていたのであるから、右障害のためにやむを得ず盲学校に進学し、就労先も鍼灸関係に限定されることになつたということもできない。なお、原告俊一郎が本件事故当時高校に在学中であつたことは認めるが、原告俊一郎は当時から既にプラスチツク成型工として月二三ないし二五日就労していたのであるから、これによる平均給与月額五万二八〇〇円を逸失利益算定に当たつての基礎収入とすべきである。

11  同3(二)(7)は争う。

12  同3(二)(8)は争う。

13  同3(三)は争う。

14  同4(一)の事実は認める。但し、右支払はあくまでも本件事故による原告俊一郎の受傷と相当因果関係のある損害の賠償債務の弁済としてなされたものであるところ、前述のとおり、前記3(二)(1)〈1〉のうちの第二、第三回目の入院関係費及び同3(二)(5)の交通費については本件事故との相当因果関係が存在しないのであるから、これらに対応するものとして支払われた金員は他の相当因果関係ある損害に充当されるべきである。

15  同4(二)の事実は認める。

三  被告らの抗弁

1  過失相殺

本件事故は交通整理の行われていない交差点における出合い頭の衝突事故であるところ、交差道路の幅員はほぼ同じであるから、左方から進行してきた宮田車にむしろ優先権があつたにもかかわらず、原告俊一郎は、右交差点の存在自体すら意識することなく進行し、右交差点手前で徐行も減速もしておらず、全く制動を掛けないまま時速約七〇キロメートルで衝突しているのであるから、本件事故の発生については、原告俊一郎にも少なくとも四割の過失があつたものというべきである。従つて、損害賠償額の算定に当たつては、右過失を斟酌すべきである。

2  原告俊一郎の心因的要因の寄与による減額

仮に、本件事故と原告俊一郎の視力障害との間に相当因果関係が認められるとしても、右後遺障害は、前述のような家庭環境から受ける精神的ストレスと原告俊一郎が事故前から有していた心因的要因が大きく寄与して発生したものであり、被害者側に右のような要因のない通常の場合であれば、生じなかつたものであるから、民法七二二条二項を類推適用し、右事情を斟酌して損害賠償額の減額がなされるべきである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実は否認し、原告俊一郎に過失があるとの主張は争う。

被告らは原告俊一郎との間で、本件事故による物損につき、原告俊一郎に過失のないことを前提とした示談契約を締結しており、右事実に照らしても、被告らの主張が失当なことは明らかである。

2  抗弁2の事実は否認する。

被告らは原告俊一郎の症状がカウンセリングによつて劇的に改善されたとするが、結局のところ原告俊一郎の症状は固定時の状態に比べて改善されていない。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  本件事故の発生及び責任原因

請求原因1及び2は当事者間に争いがない。

二  原告俊一郎の受傷内容、治療経過及び後遺障害

1  原告俊一郎が本件事故により、左肩、左上腕及び左膝打撲、頸部挫傷の傷害を受け、原告俊一郎が請求原因3(一)(2)記載のとおり入・通院をしたこと、これにより少なくとも自賠法施行令二条別表の第一四級一〇号に該当する頸部神経症状の後遺障害が残存したことは当事者間に争いがなく、右事実に成立に争いのない甲第二ないし第四号証、同第九号証の一、二、同第一〇号証、同第一一号証の一、同第一三号証の二、同第一四号証の一ないし三、同第一五号証、同第一六の一、乙第一ないし第四号証、同第一二号証、同第一六ないし第一八号証、同第一九号証の三、六、同第二五号証の一、二、同第二六号証、原本の存在・成立に争いのない乙第二二号証の一ないし二五、弁論の全趣旨により原本の存在・成立が認められる乙第二一号証、同二三号証の一ないし三、証人大鳥利文、同藤井弘一の各証言、原告俊一郎本人尋問の結果及び近畿大学医学部附属病院に対する調査嘱託の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一)  原告俊一郎は、本件事故により、前記傷害を被つて石切生喜病院に搬送されたが、治療に当たつた山本春生医師(整形外科)に対しては、左肩と左膝の打撲部の痛みを訴えているのみであり、事故直後やや朦朧とした状態になつたことがあつたものの、本件事故による明らかな意識障害はなかつた。山本医師は、原告俊一郎の右打撲部位にX線写真上異常所見は認められず、歩行も自力でトイレに行ける程度には可能であつたが、経過観察の必要もあつたため、左肩打撲、左膝打撲の診断のもとに即日入院させ、投薬及び打撲部位に対する湿布等の治療と経過観察を行つていたところ、同月二〇日ころには疼痛の訴えが少なくなつたため、同月二三日に退院させ、外来通院で経過観察をすることにした。原告俊一郎は、退院後ほぼ連日同病院に通院し、同月二九日ころから再び左膝の痛みを訴え始め、同年二月五日には関節注射を行つたが効果がなく、同日ころから膝関節運動制限(可動域二〇度程度)が生じ、同部に腫脹も認められるようになつたので、山本医師は左膝半月板損傷の存在を疑い、左膝関節の精密検査のために同月二七日から再入院させた。また、原告俊一郎は、右の再入院前である昭和六〇年二月七日の通院時に山本医師に対して初めて頸部痛を訴え、右痛みは事故後からあつたが最近強まつてきたと述べたので、同医師は頸部に対する湿布治療を開始するとともに、頸椎の六方向からのX線写真(環椎と軸椎の前方からの撮影は行われていない。)を撮影したが、異常所見を認めなかつた。しかし、原告俊一郎は、同月一九日からは、さらに頸部の運動制限をも訴え始めた。

(二)  山本医師は、再入院した原告俊一郎に対して、昭和六〇年三月七日に左膝関節の造影検査を行つたが、半月板には損傷は認められなかつたので、同月一一日から左膝を中心とした温熱療法と機能訓練によるリハビリを開始し、以後ほぼ連日のようにリハビリを行つた。しかし、左膝関節の運動制限はやや改善したものの、なお残存し(可動域四〇度ないし五五度程度)、左膝部の疼痛や腫脹も持続したので、同年四月二日に検査のため腰椎麻酔下で左膝関節の可動域を計測したところ、麻酔施行前の可動域は約四五度であつたのに、麻酔下ではほぼ完全な可動域であつた。そこで、山本医師は、原告俊一郎の膝関節機能障害は打撲の痛みによる有痛性の拘縮かあるいは精神性のものではないかと考え(山本医師は、同年四月六日には「精神的に弱いのではげましてやつて下さい。」との指示をしている。)、しばらく理学療法を継続したのち退院させることにし、さらに、右腰椎麻酔施行後、原告俊一郎の左膝関節の可動域は改善し、同年四月六日には麻酔下でなくても可動域が一〇〇度前後になり、同月八日からは当時在籍していた東大阪市立日新高等学校へタクシーを利用して通学し始め(同年五月一一日までに欠席二日、早退一日)、右通学開始後、左膝については、無理に屈曲・伸展をしたり、歩きすぎると痛いと述べるほかは特段の訴えはなく、腫脹も認められなくなつたので、同月中旬ころに退院の指示をした。しかし、同月一八日に原告俊一郎や家族から入院延長の申出があり、結局、原告俊一郎は同年五月一一日に退院したが、その際山本医師は家族に対し左膝の症状が精神性のものである疑いを示唆し、家族もこれを納得し、以後は外来で週一回程度経過観察を行うことにした。右入院期間中、原告俊一郎は、松葉杖の貸与(当初は両松葉杖、四月一六日に一本返却)を受けて歩行しており、特に付添看護を必要とするような状態ではなく、時々外出もしており、特に三月一一日には左膝の疼痛を訴えながらも四時間の外出を希望し、現実に約四時間外出している。なお、原告俊一郎は、再入院中も頸部痛の訴えを続けていたため、三月二三日から頸椎牽引(荷重八キログラム)が行われている。

(三)  原告俊一郎は、退院後もほぼ連日石切生喜病院に通院し、左膝へのホツトパツク、マツサージ及び頸椎牽引等の物理療法を受けていたが、昭和六〇年六月七日に原告俊一郎を診察した藤井弘一医師(このころから、原告俊一郎の主治医となつた。)は、原告俊一郎の頸部痛の訴えに対して頸椎の七方向からのX線写真を撮り、環椎と軸椎の歯状突起の間隔(環軸関節裂隙)に左右差があるのを発見しており、以後昭和六一年七月一四日までに四回にわたつて撮影された原告俊一郎の頸椎のX線写真においては、右側の環軸関節裂隙が二ないし三ミリメートルであるのに対して左側のそれは六ないし六・五ミリメートルであることが確認できる(原告俊一郎と同程度の年齢の者の平均値は二・二ないし三・八メートルである。)。藤井医師は、その後原告俊一郎が頂部痛・頭痛、腰痛のほかに視力障害等を訴えるようになり、さらに頸部後屈時に激しい痛みを訴えたのと、原告俊一郎の側からも入院の希望があつたので、原告俊一郎の学校の一学期の授業終了時期と合わせて(原告俊一郎は五月一一日に退院後、二日欠席し、三日遅刻し、二日早退した以外は第三回目の入院前日まで毎日通学していた。)、同年七月一三日に第三回目の入院をさせた。原告俊一郎は、入院当初こそ頭痛、頸部痛、腰部痛を常に訴え、七月二三日に計測した握力は右が一九キログラム、左が二〇キログラムであつたが、特に腫脹などは認められておらず、八月に入ると各部の疼痛の訴えは継続的になり、七月二〇日、八月一日、四日、七日、二五日、二六日は朝から夕方ないし夜まで、七月一四日、八月九日にも四ないし六時間程度外出し、八月一四日から一八日までは自宅へ帰つて外泊している。右入院期間中の治療内容は、投薬と頸部への湿布のほかはもつぱら物理療法(頸椎の牽引、腰と左膝のホツトパツク、SSP、左足のマツサージ)であつた。原告俊一郎は、昭和六〇年八月三一日に石切生喜病院を退院したが、その翌日である九月一日から通学を再開するとともに(原告俊一郎は、二学期は一〇月に三日、一一月に一日欠席した以外はすべて出席している。)、同病院に通院して頸椎牽引等の物理療法を中心とする治療を受け、左膝痛については徐々に軽減し、昭和六一年一月ころには正座が可能で、正座時にのみ疼痛がある程度にまで回復したものの、頸部痛と頭痛については変化がないため、主治医である藤井医師により、頸部等の神経症状については昭和六一年一月一〇日にその症状が固定したものと診断された。なお、原告俊一郎は、右診断後も昭和六一年一〇月三日まで同病院に通院して従前と同様に物理療法を受け、同月一一日付で同月三日に症状が固定した旨の藤井医師作成の診断書の発行を受けているが、頸部痛等の頸部の神経症状は同年一月一〇日以降殆ど変化がなく、右診断書は、後述の視力障害についての近畿大学医学部附属病院の症状固定の診断が同年九月一二日に出たことでこれをも含めた全体としての症状固定の時期を記載するという趣旨で作成されたものにすぎない。

また、原告俊一郎は、平成元年九月一四日から同年一一月二九日までの間に四回にわたり、近畿大学医学部附属病院整形外科に通院して頸部の症状についての診察及び検査を受けており、右診察時には頂部及び頸部の鈍痛及びだるさと頸部の運動制限を訴えているが、X線写真上前記環軸関節の非対称が認められたのみで、その他の異常所見は認められておらず、反射異常、感覚障害等の神経学的異常所見も認められていない。

(四)  原告俊一郎は、事故前である昭和五九年四月には裸眼で右一・五、左〇・七の視力があつたが、昭和六〇年六月一四日に石切生喜病院に通院した際に、初めて視力障害を訴え、その後も目がかすむ、焦点が合わない等の訴えをし、石切生喜病院入院中(第三回目)の同年七月二四日に行われた眼底検査、同月二九日に行われた頭部CT検査の結果にはいずれも異常は認められなかつた(同病院では右検査以外には眼に対する診察は行つていない。)ものの、同月一七日に石切生喜病院で、同月二六日に藤井医師の紹介で受診した川口医院(眼科)でそれぞれ行われた視力検査の結果はいずれも裸眼で右〇・三、左〇・二であり、川口医院では眼鏡による矯正が必要であると言われ、同年八月一二日に矯正で両眼とも一・〇の視力が得られるよう左右とも球面レンズがマイナス二・五D(ジオプトリー)で、円柱レンズがマイナス〇・五Dの眼鏡の処方を受けた。また、同月一日に川口医院で行われた眼位検査(内・外斜位、上・下斜位を識別)、融像検査(単眼の抑制の有無を識別)の結果は正常であつたが、同時視検査において内斜位が認められている。その後、原告俊一郎の視力は、昭和六一年一月一〇日に石切生喜病院で計測した際には左右とも裸眼で〇・一、昭和六一年三月二六日に約七か月ぶりに川口医院を受診した際には裸眼で左右とも〇・〇五(矯正で右〇・一、左〇・二)と大きく低下し、三月二六日の検査では左右ともに中心暗点的なものが認められたことから、川口医院の川口茂登医師は、黄斑部変性症を疑い、眼科の権威者の一人である近畿大学医学部附属病院の大島利文医師に原告俊一郎を紹介し、診察を依頼した。右紹介により大島医師が同年四月一五日に原告俊一郎を診察したところ、自動屈折率測定器で原告俊一郎の眼の屈折率を計測して割り出した適切な遠見矯正レンズは、球面レンズが右マイナス八D、左マイナス七D、円柱レンズが左右ともマイナス一・七五Dという高度近視矯正レンズとなつて、原告俊一郎が持参していた前記川口医院の処方による眼鏡と対比すると急激に視力が低下していることになり、しかも、右測定結果による適切な矯正レンズを用いても遠見視力が右〇・五、左〇・四、近距離視力が左右とも〇・二しかなく、かつ、通常は視力検査表を用いた字づまり視力より良好な測定値を得ることの多い字ひとつ視力(字を一つずつ出して計測)においては右が〇・三ないし〇・四、左が〇・三と逆に測定値が低下しているが、ゴールドマン視野計を用いた精密視野検査はほぼ正常であつて、川口医師の示唆した中心暗点は認められず、眼底検査においても網膜に黄斑部変性症を初めとする異常所見はなく、中心CFF(中心フリツカー値)も四八と正常(四〇以上あれば正常である。)で、マーカスガン現象(光を当てても瞳孔が縮まない現象)もなく、視神経の異常はうかがわれなかつたので、大島医師は、原告俊一郎の視力障害は心身症的な症状(調節障害も含む。)ではないかと考え、川口医師に対し、原告俊一郎を励ましたうえで症状経過の追跡を行うよう指示した。そこで、川口医師は、その後月一回程度原告俊一郎を診察していたが、矯正で〇・四の視力を出すのに右マイナス一五D、左マイナス一三Dという最強度の矯正を要するようになつたため、同年七月二日、大島医師に対して再度原告俊一郎の診察を依頼した。右依頼により、大島医師が同月一五日に再度原告俊一郎を診察したところ、球面レンズが右マイナス九D、左マイナス八D、円柱レンズが左右ともマイナス二Dの矯正で、かなり時間をかけたうえでも字ひとつ視力が両眼とも〇・一しかなく、ネーベルメントーデ(消去法、レンズを重ね合わせて結果的に矯正の働いていない状態にして視力を計る方法)を行つても視力が出ず、調節検査の結果は両眼とも三D、瞳孔の直径は三ミリメートルであつて、原告俊一郎の年齢(昭和四二年一一月四日生の当時一八歳)にしてはいずれも異常(この年齢では調節力は八ないし一〇D、瞳孔の直径は四ミリメートルが普通である。)で、病的な調節障害及び縮瞳があるといえ、物を見させると強く輻輳し内斜視になるが、ミドリンとサイプレジン(調節を麻痺させる点眼薬)を点眼したうえで自動屈折率測定器で屈折率を測定すると殆ど近視が消失したような測定値が得られ、視力は裸眼で〇・一、円柱レンズのみの矯正(右マイナス〇・七五D、左マイナス二・五D)で右〇・二、左〇・一五に改善し(乱視表の点線が見えることから〇・三は見えるのではないかとも考えられる状態であつた。)、眼底にも強度の軸性近視に伴う所見は認められず、対光反射もやや反応は遅いものの正常で、視神経の異常はうかがわれなかつたので、大島医師は、原告俊一郎の視力障害は高度の調節痙攣によるものであつて、その原因としては、交通外傷もその一因をなしていると考え得ると診断し、同日付でその旨の診断書を発行した。次いで、同月二二日に大島医師が診察した際の原告俊一郎の視力検査の結果は、両眼とも裸眼で〇・〇二で、近距離視力も数値は変わらず、眼前に近付けて初めて〇・〇五ないし六という測定値であり、詐病との鑑別のために両眼開放下視力の検査を行つた結果では、詐病の疑いは認められなかつたものの、同年八月二九日、同年九月一二日の視野検査の結果にはヒステリー性(但し、広義のもので外傷性神経症等の心因性眼疾患を含み得るものである。)の視野狭窄に特有の所見である螺旋状視野が認められた。

(五)  調節痙攣は、毛様体筋に持続的な刺激が与えられたために起こる毛様体筋の痙攣によつて生ずるものであり、仮性近視(偽近視)と区別される真性の調節痙攣は種々の刺激で副交感神経が興奮したために起こるもので、急速な近視化、縮瞳、内斜視を伴うものである。その原因となる刺激としては、縮瞳剤である抗コリンエステラーゼ剤、ピロカルピンの点眼、抗菌製剤であるスルフォナマイドの投与、モルヒネ中毒等、各種薬剤による刺激、動眼神経の中枢部における腫瘍の形成等の病変及び眼球打撲等の外傷が考えられるが、交通事故により頸部に損傷を被つた者が自律神経の失調をきたして調節麻痺、調節痙攣等の調節障害を起こしたり、交通外傷を受けた者が外傷性神経症やヒステリー反応等の心因反応によつて調節障害を起こすという例も稀ではないことと、サイプレジン点眼後に視力が回復していることや原告俊一郎の症状が調節痙攣の典型的症状に符合していることから、大島医師は、原告俊一郎の視力低下は調節痙攣によるものであると判断し、その原因を明確に確定することはできないが、前述したような薬剤による刺激や脳神経系の病変があることをうかがわせるものは存在しない(昭和六〇年七月二九日に石切生喜病院で撮影した頭部のCTにも異常は認められていない。)ことから、右調節痙攣は、ノイローゼやヒステリー反応を含めた広義の心身症によつて生じたものであり、右心身症には本件事故による頸部外傷に起因する自律神経失調症が関係している可能性が大であると判断し(但し、大島医師自身も外傷との関連性が明確でない点では珍しい症例であると考えている。)、昭和六一年九月一二日の状態(視力は左右とも裸眼で〇・〇三、矯正で〇・〇六、調節力は右二・五D、左四・〇D)で症状がほぼ固定し、事故からの時間的経過や調節障害自体の程度の大きさから見て、回復の可能性は薄いものと判断し、同月一九日付でその旨の後遺障害診断書を作成した。

(六)  原告俊一郎は、自分の症状について大島医師から視野が螺旋状で心因性の視力障害であると言われたことと、母親の勧めもあつて、昭和六一年一〇月七日、一一月一一日、二六日、一二月二日の四回にわたり、近畿大学医学部附属病院の精神神経科を受診し、生活歴や家族関係についてのカウンセリングを受け、一一月二六日にはロールシヤツハ・テストを受けた。右ロールシヤツハ・テスト受検時、原告俊一郎は、カードの図版を当初は眼鏡を装用したうえで一〇ないし二〇センチメートルの距離で読んでいたが、途中から眼鏡をはずし、次第に眼と図版の距離を離し、最終的には三〇ないし四〇センチメートル離して読むことが可能になり、問診時には細かい部分の指摘以外は机上に図版を置き六〇センチメートル程度離して見ていた。原告俊一郎は、昭和六一年一〇月七日、精神神経科受診の直後に眼科を受診し、調節力検査を受けているが、右検査時には右が九・五D、左が九・七五Dという正常値に近い測定値が得られており、自動屈折率測定器による検査においても、測定値の著しい変動が見られるものの、時には殆ど調節痙攣が解消したような測定値もあつて、劇的な改善が認められた。しかし、視力については、裸眼で〇・〇二、矯正では〇・〇五であつて、改善は認められなかつた。原告俊一郎は、その後三年近くの間近畿大学医学部附属病院眼を受診していなかつたが、平成元年七月二五日、八月一〇日の両日に同眼科を受診しており、その際の測定結果によると、原告俊一郎の視力は左右とも裸眼で〇・〇二であつて、矯正は不能であり、調節力も右一・五D、左二Dで、縮瞳(瞳孔の直径二・五ミリメートル)が見られた。なお、原告俊一郎は、昭和六一年八月二九日の同眼科受診時に、「暗いところを歩けない。」と訴えたことがあるほかは、特に日常生活上の不便を訴えたことはなかつた。

(七)  原告俊一郎の後遺障害については、昭和六一年二月に自動車保険料率算定会大阪第三調査事務所において、頸部の神経症状につき、自賠法施行令二条別表一四級一〇合(局部に神経症状を残すもの)に該当する旨の認定がなされていたのみであつて、昭和六二年二月の再認定においても、眼の障害については他覚的所見に乏しく非該当であり、神経症状のみが既認定のとおり一四級に該当するとの認定がなされている。

(八)  原告俊一郎は、昭和六一年三月に高校を卒業し、その前後に旅行業関係の専門学校を受験して不合格となり、同年四月から大阪府立盲学校の専攻科(理学療法)に入学し、同六三年一一月現在同校に通学中であるが、原告俊一郎自身小学校時代から接骨医に憧れていたこともあつて、元々興味のある分野で、将来は病院の理学療法科等で働きたいとの希望を持つている。原告俊一郎は、前記のような矯正の程度の強い眼鏡ではなく、比較的矯正の程度の弱い眼鏡を常用しており、新聞の本文のような細かい文字を読むことはできないが、見出し等の大きさの文字であれば顔を近付けて読むことができる。また、右盲学校への通学に際しては、毎朝七時過ぎころに一人で八尾市の自宅を出発し、白杖は持たずに、大阪市住吉区我孫子町にある盲学校まで近鉄線、環状線、阪和線を乗り継いで通学しているが、階段についても手摺に頼ることなく昇降することが可能であつて、通学をするうえで特に支障はなく、その他日常生活においても、テレビを見たり、文字を読んだりすることを除き、慣れた場所では特段の不便を感じてはいないが、足元が見にくいために歩行の際に慣れない場所ではつまずいたりすることもあり、人が歩いてくるのは分かつても、それが既知の人物であるかどうかの識別ができないことが多い。

(九)  原告俊一郎は、中学一年生の時に神経質で常に胃痛があることなどから、自律神経失調症と診断されて、鍼治療を受けたことがあり、家庭環境としては、父親(原告賀寛)は厳格で常にきちんとするよう命じて、できていないと叱り、一方母親もきわめて神経質で、医師に対する原告俊一郎の症状の訴え等も原告俊一郎に代わつて自分でしようとすることが多く、家庭では自分のしたいことができないという感じを持つていた。なお、両親は本件事故後間もなく離婚している。

前述の近畿大学医学部附属病院精神神経科で行われたロールシヤツハテストによつて把握された原告俊一郎のパーソナリテイは、自分を押えて用心深く周囲を観察して敏感に自分を変えていこうとするタイプで、攻撃に対しては敏感で、権威的なものに押え付けられているような面も持つが、退行や考えを変えることで切り抜けようとする努力が見られ、自分を弱く無力であると規定することで周囲とうまく折り合いを付けて生きるこつを会得しており、「良い子」になることでしか存在を認められていないような不安があり、「良い子」になり切れない分「弱い子」になることで補つている部分がある思われるというものである。

(一〇)  頸椎の環軸関節(第一頸椎である環椎と第二頸椎である軸椎の関節)の非対称、すなわち軸椎の歯状突起に対する関係で環椎の位置がずれて歯状突起と環椎の間隔が一定でない場合には、外傷による環軸関節の脱臼が疑われるが、非対称があつても必ずしも脱臼が存在するとは限らず、先天性の骨格異常によるものも存在する。

2  そこで、以上認定の各事実を前提として、原告俊一郎の後遺障害の程度及び本件事故との因果関係について検討する。

原告俊一郎の頸部に神経症状が残つていることは、前記のとおり、当事者間に争いがないところ、原告らは、右神経症状については、頸椎の環軸関節の非対称という他覚的所見が認められると主張し、被告らはこれを争うので検討するのに、原告俊一郎の環椎と軸椎の歯状突起の間隔が左右非対称であることは前認定のとおりであるが、前認定のとおり環軸関節の非対称は、先天性の骨格異常によるものもあることに加えて、前掲甲第一四号証の三によれば、右非対称は環軸関節の亜脱臼が疑われるほどの大きな左右差であることが認められるから、右環椎のずれが本件事故によつて生じたのであれば、環椎と歯状突起の間を通る神経に圧迫や損傷が生じ、これによる疼痛その他の強い神経症状が事故当初から発現しているはずであるのに、原告俊一郎が頸部痛の存在を医師に訴えたのは、事故から二三日経過した昭和六〇年二月七日であること(もつとも、原告俊一郎は、医師に対して、事故後から頸部痛が存在したと述べているが、仮にそうであつたとしても、右のように訴えが遅れたことは、頸部痛が気にするほどのものでなかつたことをうかがわせるものであり、また、他の部位に大きな受傷や疼痛がある場合には、頸部痛等の神経症状の自覚が遅れることがよくあるということは当裁判所に顕著な事実であるが、本件事故によつて原告俊一郎が頸部挫傷以外で直接被つた外傷は前記争いのない打撲傷だけであり、右頸部痛の訴えをした時点における他の部位の疼痛の訴えは左膝痛に限られていたのであるから、右疼痛との混同により頸部痛の自覚が遅れていたとは考えにくい。)を考慮すると、右非対称が本件事故によつて生じたものと推認することはできないといわざるを得ない。なお、証人藤井弘一の証言中には、右異常所見は本件事故によるものである旨を述べる部分があるが、右証言自体その根拠が明確でないので採用し難く、また、同証言中には、原告俊一郎の第四頸椎にはX線写真上変形を認めることができると述べる部分があるが、右変形は整形外科医一般が異常所見として指摘するほどのものではないことは同人の証言自体によつても明らかであり、前掲甲第一四号証の一ないし三によれば、原告ら代理人の依頼で前認定の診察結果に基づくX線写真上の異常所見及びその他の他覚的異常所見の有無について回答を求められた近畿大学医学部附属病院整形外科の広藤栄一医師も前記環軸関節の非対称を指摘するのみで、その他の異常所見は特に指摘していない。なお、前掲甲第二号証には、原告俊一郎の頸部に相当の運動制限がある旨の記載があるが、前記のとおり、右広藤医師が他覚的所見としての運動制限の存在を指摘していない点に照らすと、単なる疼痛性のものと考えられる。

従つて、原告俊一郎の頸部等の神経症状については、その存在を医学的に証明できる他覚所見があるということはできず、現在は自覚症状としての項部及び頸部に鈍痛、だるさ及び疼痛性の運動制限が残つているのにすぎないものと認めるのが相当である。

次に、原告らは、原告俊一郎の視力障害は、本件事故による頸部挫傷ないし本件事故で受けた精神的ストレスに起因する自律神経失調症によるものであると主張し、被告らはこれを争うので検討するのに、先に認定したとおり、原告俊一郎の視力低下は急激で縮瞳や内斜視が見られるなど調節痙攣の典型的症例と一致していること、サイプレジンを点眼して調節を麻痺させると視力が回復し、他方、軸性近視や網膜・視神経の異常をうかがわせる所見はないことからすると、原告俊一郎の視力低下は、大鳥医師の診断のとおり調節痙攣によるものであると認めるのが相当である。そして、右調節痙攣の原因としては、前認定のとおり、薬剤による刺激や脳神経の病変が否定される一方で、広義のヒステリー性の視力障害に特有な所見である螺旋状視野が認められるうえ、検査上現われる障害に比して日常生活上の不便を感じることが少なく、かつ、遠見視力の測定値と比べると字ひとつ視力や近距離視力のそれが悪く、一点を凝視しようとする緊張の契機が視力に悪影響を及ぼしていることがうかがわれ、さらに、原告俊一郎は神経質で以前に自律神経失調症と診断されたことがあり、本件事故による左膝部の受傷についても明らかな損傷がないのに長期間疼痛や運動制限が残り、医師から心因性のものである可能性が示唆されており、ロールシヤツハ・テストの結果も逃避的でヒステリー反応を起こしやすい性格であることを示しており、これらの点からすると、原告俊一郎の調節痙攣は心因性ないしヒステリー性のものであると認めるのが相当であるところ、原告俊一郎が本件事故によつて直接被つた外傷や衝撃はさほど大きいものであるとはいえないにしても、その治療に相当期間を要し一定期間の入院も経験しており、これが当時高校二年の三学期から高校三年にかけてという進路決定上の重要な時期にあつた原告俊一郎に相当の精神的ストレスを与えたことは容易に推認できるところであり、このことに前認定の原告俊一郎の視力障害の発症の経過及び交通事故の被害者が事故による外傷を契機に外傷性神経症やヒステリー反応を起こすことは稀ではなく、特に右被害者がヒステリー反応を起こしやすい素因を有している場合は不可解ともいえるようなヒステリー反応を起こすことがあるが、交通外傷を受けた者が心因反応によつて調節障害をきたすことについては、前認定のとおり症例としての報告も存在していることを合わせ考えると、原告俊一郎の前記の調節痙攣による視力障害は本件事故による受傷及びその治療課程で受けたストレス(本件受傷による直接的な苦痛のほかに、高校生活における重要な時期に本件受傷によつて勉学に支障が生じたこともその原因として考えられる。)と原告俊一郎の逃避的なヒステリー反応を起こしやすい素因や前認定の家庭環境等の原告側の事情が原因として競合し、心因反応ないしヒステリー反応として発症した(なお証人大鳥利文の証言中には、原告俊一郎の調節痙攣による視力障害は、本件事故による頸部挫傷によつて生じた自律神経失調症が原因となつているとの供述部分があるが、右判断は、原告俊一郎が本件事故により頸椎に異常所見を生ぜしめるほどの頸部挫傷を受けたことを前提とするものであることが右証言自体からうかがわれるところ、原告俊一郎の頸椎に本件事故によつて生じたものと認められる異常所見があるとはいえず、頸部挫傷による当初の直接的な症状は軽微で、その後に発症し、遷延した頸部挫傷による症状自体についても、医師により心因性の疑いを指摘されていることは前認定のとおりであるから、右証言はにわかに採用することはできない。)ものと認めるのが相当であり、従つて、本件事故と前認定の原告俊一郎の視力障害との間には相当因果関係があるというべきである。

三  原告俊一郎の損害額

以上を前提に原告俊一郎が本件事故によつて被つた損害について検討する。

1  治療費 三二一万一五二八円

原告俊一郎が請求原因3(二)(1)記載のとおりの治療費を支払つたこと及び本件事故による受傷の治療のために同〈1〉(但し、第二、第三回目の入院関係費合計一四八万七四二〇円と昭和六一年一月一一日以降の分である一五万一二〇二円を除く。)〈4〉〈5〉記載のとおりの治療費を必要としたことは当事者間に争いがない。

そこで、同〈1〉のうち、被告らが必要性を争つている石切生喜病院への第二、第三回目の入院に要した費用について、以下検討する。

前認定の治療経過よりすれば、原告俊一郎の第二回目の入院は、直接には左膝半月板損傷の有無を確認する造影検査を施行するためのものであり、その他に、当時原告俊一郎の左膝の可動域が約二〇度程度しかなく、歩行には松葉杖を必要とし、通院に多少の困難を伴う状態であつたことも入院の理由となつているものと推認されるが、昭和六〇年三月七日に半月板に損傷のないことが確認され、同年四月二日の腰椎麻酔施行後膝関節の可動域が改善し、さらに同年四月八日以降は病院から通学をしながらも入院を継続している点が問題となる。しかし、前掲乙第三号証及び証人藤井弘一の証言によれば、入院当初は原告俊一郎の左膝部には腫脹が認められ、昭和六〇年四月上旬までは左膝部の持続的な疼痛の訴えが続いていたことが認められるから、通院は不可能でないにしても、相当の困難を伴い、他方、治療効果の点からは、安静を保ちつつ濃密な治療を行うことができる入院の方が好ましく、また、疼痛が持続的なものでなくなつたとしても、その状態で安定するかどうかを確認するためしばらくの間は経過観察を行う必要があつたものと考えられ、さらに、原告俊一郎本人尋問の結果によれば、原告俊一郎は昭和六〇年四月当時大学進学希望の高校三年生であつたことが認められるから、多少の無理をしてでも通学をする必要があり、入院を継続しながらタクシーを利用してでも通学することで治療と勉学とを両立させる必要性の存在ということも考えられる。しかし、他方、同年四月中旬ころには、前認定のとおり山本医師から退院の指示が出ており、証人藤井弘一の証言中にも昭和六〇年四月末ころに退院するのが相当と考えられる旨を述べる部分があることに照らすと、原告俊一郎の第二回目の入院については、昭和六〇年四月三〇日までの入院についてその必要性を肯定することができるが、右以降の入院についてはその必要性がなかつたものといわざるを得ない。そして、前掲乙第二二号証の九によれば、昭和六〇年五月分の石切生喜病院の治療費のうち同月一一日の退院までの入院関係費用応当分は一二万一九六四円(同月分の診療報酬については、診療報酬点数とは対応しない形での減額合意が成立しているので入院関係費用である入院料及び電気代について減額割合による比例計算をした。)であることが認められるから、同月分の治療費のうち、右金額については本件事故と相当因果関係のある損害とは認められない。

次に、第三回目の入院の必要性について検討するのに、前認定のとおり、右入院は、原告俊一郎の頸部痛の訴えが強くなつたのと、原告俊一郎らが希望したことによるものであるところ、証人藤井弘一の証言中にはその必要性を肯定するような供述部分があるが、前認定の治療経過に前掲甲第一〇号証及び乙第三号証を総合すれば、原告俊一郎は、右入院の前後は殆ど欠席せずに通学しているのに、学校の夏休みに合わせて入院したもので、入院中の治療内容もその前後の通院時のそれと比べて大差がないことが認められ、また、前認定の治療経過によれば、頸部挫傷の治療に際し、もつとも安静を必要とする急性期は既に過ぎていたことが明らかであり、これらの事実に照らせば、右証言によつても入院の必要性を肯定し難く、他にこれを認めるに足りる証拠はない。そして、前掲乙第二二号証の一三、一五によれば、昭和六〇年七月、八月分の石切生喜病院の治療費のうち、第三回目の入院の入院関係費用は七月分が二〇万一〇五六円、八月分が三三万七八四四円(右各月分の診療報酬については、一点単価を一八円とする旨の減額合意が成立しているので、右減額合意に従つて算出した。)であることが認められるから、右各月分の治療費のうちの入院関係費用については、本件事故との相当因果関係を肯定することはできない。

また、〈1〉のうち昭和六一年一月一一日以降の分については、先に認定したところによれば、頸部神経症状の症状固定ののちの治療であることが明らかであるところ、症状固定後においてもなお治療を継続する必要性があつたことを認めるに足りる証拠は存しないから、本件事故との相当因果関係を肯定することはできないが、同〈2〉〈3〉の治療費は、原告俊一郎の視力障害に対する診療費用であり、右視力障害と本件事故との間に相当因果関係を肯定し得ることは前述のとおりであるから、これらは本件事故と相当因果関係のある損害と認められる。

従つて、原告俊一郎が被告らに賠償を求め得る治療費の額は前記争いのない支払治療費額から右の本件事故と相当因果関係のない治療費の額を控除した残額である三二一万一五二八円となる。

2  付添看護費について

原告俊一郎は、石切生喜病院への入院期間中、付添看護を必要とし、近親者による付添看護を受けたとして、右付添による損害を主張するが、前認定の原告俊一郎の治療経過によれば、原告俊一郎は、事故直後の石切生喜病院への第一回目の入院当初からトイレへもひとりで行くことができ、第二回目の入院中は、当初左膝の持続的な疼痛を訴えていたものの、入院当初から松葉杖使用による歩行は可能で、他の介助がなければ日常生活の用を弁ずることができない状態であつたとは認め難く、第二回目の入院中その余の期間及び第三回目の入院中については、前認定のその前後の通学状況に照らしても、付添看護の必要性を肯定し難いから付添看護による損害を被つたものと認めることはできない。なお、証人藤井弘一の証言中には、第一回目の入院期間全部と第二回目の入院期間の一部について付添看護を要したかのように述べる部分があるが、同証言及び前認定の治療経過によれば、同証人は第一、第二回目の入院の際は原告俊一郎の治療を担当していなかつたことが認められるから、右供述部分は直ちに採用することはできず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

3  入院雑費 一〇万六七五〇円

原告俊一郎は、前記入院期間中、テレビ賃料として三万四七五〇円を要したほか、第一回目の入院期間(九日間)中に少なくとも九〇〇〇円の雑費を要したという限度では当事者間に争いがないが、前述のとおり、本件事故との相当因果関係を肯定できる原告俊一郎の入院期間は第一回目の九日間と第二回目の四月末までの六三日間のみであり、前認定の原告俊一郎の受傷内容、治療経過に鑑みれば、原告俊一郎は右の合計七二日間の入院期間中に前記争いのないテレビ賃料のほかに少なくとも一日当たり一〇〇〇円、合計七万二〇〇〇円の雑費を要したものと推認される。

4  交通費 七一万六一七〇円

原告俊一郎は、本件事故による受傷により歩行が困難であつたため、通院及び通学にタクシーを使用したとして、右タクシー代を本件事故による損害であると主張し、被告らはこれを争うので検討する。

弁論の全趣旨によれば、右タクシーの使用は、被告会社があらかじめ原告俊一郎に交付していたチケツトを使用してなされたもので、その代金も被告会社において支払ずみであり、その総額は一四三万二三四〇円に達することが認められ、また、原告俊一郎本人尋問の結果によれば、その使用期間は二学期の途中までであつたことが認められるところ、原告俊一郎が昭和六〇年四月末までは多少の無理をしてでも通学し、入院による治療と勉学とを両立させる必要があつたこと、及び第二回目の入院中は、同年四月一六日まで両松葉杖を使用し、その後は片松葉杖を使用していたことは前認定のとおりであり、松葉杖の使用を必要とする状態で公共交通機関を使用するのには相当の困難を伴うであろうことは容易に想像されるところである。そして、以上の諸点に前認定の原告俊一郎の症状及び治療の経過、特に昭和六〇年四月中旬ころから左膝の疼痛の訴えも少なくなつていることを合わせ考えると、右タクシー代の二分の一に相当する七一万六一七〇円については本件事故との相当因果関係を肯定するのが相当であるが、その余の部分についてはタクシー利用の必要性を肯定し難く、従つて、右部分は本件事故と相当因果関係のある損害と認めることはできない。

5  休業損害 六五万円

原告俊一郎が本件事故によつてアルバイトの休業を余儀なくされ、合計六五万円の損害を被つたことは、当事者間に争いがない。

6  後遺障害による逸失利益 一三四九万五六五八円

原告俊一郎に本件事故による頸部痛等の神経症状の後遺障害が残つたこと、及び原告俊一郎が本件事故を契機として、調節痙攣による視力障害をきたし、裸眼で〇・〇二ないし〇・〇三、矯正でも〇・〇二ないし〇・〇六の視力しかなくなり、右視力障害は症状固定の状態となつていることは、前認定のとおりである。もつとも、原告俊一郎は、現在のところ、慣れた場所では日常生活にさほどの不便を感じずに生活していることは前認定のとおりであるが、不慣れな状況下における対応能力には通常人と比べて格段の差があるものと推認され、視力障害に伴つて就労可能な職種が限られるであろうことは容易に推認されるところである。しかし、他方、前認定の事実に証人大鳥利文の証言を総合すれば、視力をさほど必要としないような職種については、原告俊一郎の視力障害が広義のヒステリー性のものであつて、自分に都合の悪い方向で視力障害が作用することは少なく、緊張や凝視の状態でないときには測定値以上に見える場合もあることから、労働能力に対する制約が少なくなる可能性があることが認められ、少なくとも、前認定のとおり現に原告俊一郎が就労を希望している理学療法関係の職種においては、通常人とさほど変わらないような就労をし収入を得ることができる可能性があると考えられ、さらに、原告俊一郎の視力障害が前認定のとおり本件事故に起因する心因性の症状である以上、前掲甲第一六号証の一及び証人大鳥利文の証言によれば、その可能性は少ないものと認められるにしても、本件訴訟を含めた本件事故をめぐる諸問題が解決した場合には、相当程度の回復可能性が存在することを全く否定することはできず、これらの点を総合考慮すれば、原告俊一郎は本件受傷による後遺障害によりその稼動可能期間中平均して労働能力の二五パーセントを喪失したものと認めるのが相当である。

ところで、原告俊一郎が、本件事故当時、高等学校普通科二年に在学中の健康な男子で、大学への進学を希望していたことは前認定のとおりであるが、原告俊一郎の大学進学が確実であつたと認めるに足りる証拠はなく、他方原告俊一郎が高校卒業時に旅行業関係の専門学校を受験していること、高校卒業後盲学校の理学療法専攻科に入学し、昭和六三年一一月現在右学校に通学していることは前認定のとおりであるから、原告俊一郎の逸失利益算定の基礎収入としては、大学卒男子の平均収入を採用するのは相当でなく専門学校卒業後の二〇歳から六七歳まで稼動するものとして逸失利益を算定するのが相当であるというべきである。

そこで、昭和六一年賃金センサス第一巻第一表の高専・短大卒二〇歳から二四歳までの男子労働者の平均年収である二四五万六〇〇〇円を基礎収入、稼働可能期間を二〇歳から六七歳までの五〇年間とし(前認定のとおり原告俊一郎は昭和四二年一一月四日生であるから、本件事故当時の年齢は一七歳である。)、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、原告俊一郎の後遺障害による逸失利益の本件事故当時の現価を算定すると一三四九万五六五八円(一円未満切り捨て)となる。

(計算式)

2,456,000×0.25×(24.7109-2.7310)=13,495,658

7  慰謝料 一二一五万円

前認定の原告俊一郎の受傷内容、治療経過並びに後遺障害の内容及び程度、その他本件証拠上認められる諸般の事情を考慮すれば、本件事故によつて原告俊一郎が受けた精神的・肉体的苦痛に対する慰謝料としては、視力障害に対する分として一〇〇〇万円、その余に対する分として二一五万円が相当である。

四  原告賀寛の損害について

原告賀寛は、本件事故により原告俊一郎に視力障害等の重篤な後遺障害が残り、その将来を奪われたことで原告俊一郎の父として原告俊一郎が死亡した時にも比肩しうべき精神的苦痛を受けたとして、これに対する慰謝料を請求しているが、原告俊一郎の視力は大幅に低下しており、そのために将来の就労について相当の制約を受けるものの、日常生活上の不便は視力の測定値から考えられるほど大きくはなく、また理学療法関係の職種については、通常人と変わらない収入を得ることができる可能性もあり、視力障害自体についてもある程度の回復可能性が全くないわけでもないことは前認定のとおりであるから、本件事故によつて原告賀寛が被つた精神的苦痛は、いまだ子の生命を失つた場合に比肩すべきものであるとはいえない。従つて、原告賀寛に固有の慰謝料を認めることはできない。

五  寄与度減額

前認定のとおり、原告俊一郎の視力障害は、本件事故による受傷及びその治療過程で受けたストレスと原告俊一郎のヒステリー反応を起こしやすい素因及び原告俊一郎の家庭環境等原告側の事情が競合して、心因反応ないしヒステリー反応として発症したものであるところ、前認定の本件事故による原告俊一郎の直接の受傷内容及び程度からすれば、通常人であればせいぜい神経症状等の比較的軽い後遺障害を残すにとどまり、本件のような重大な後遺障害は発生しなかつたであろうと考えられるから、原告俊一郎の視力障害の後遺障害の発現については、原告俊一郎の素因及び家庭環境等の原告俊一郎の側の事情に起因するところも大であるといわなければならない。従つて、右のような事情のもとでは、原告俊一郎の視力障害によつて発生した損害のすべてを被告らに負担させることは、損害の公平な分担という損害賠償法の基本理念に照らして相当ではないので、民法七二二条二項所定の過失相殺の法理を類推適用し、前認定の損害額のうち原告俊一郎の側の事情によつて損害が増大したことが明らかな視力障害によつて生じた損害については、被告らが賠償すべき損害額を減額するのが相当であるところ、前認定の諸事情を総合斟酌すれば、前認定の視力障害による損害額合計二三四九万五六五八円(後遺障害による逸失利益一三四九万五六五八円、慰謝料一〇〇〇万円)の五〇パーセントを減額し、その残額である一一七四万七八二九万円とその余の損害額六八三万四四四八円の合計額である一八五八万二二七七円についてのみ被告らに賠償責任を認めるのが相当である。

六  過失相殺

成立に争いのない乙第八ないし第一〇号証及び原告俊一郎本人尋問の結果によれば、以下の事実が認められる。

1  本件事故現場は、南北方向の道路と西北西方向からの道路とがやや斜めに丁字型に交差する交通整理の行われていない交差点で、南北道路の幅員は交差点の北側入口付近で約六メートル、同南側入口付近では約七・六メートルで、交差道路の幅員は約七・五メートルであり、交差道路入口の両側は角切りがなされているが、交差道路及び南北の直進道路から交差点内に進入しようとする車両相互間の見通しは悪く、そのため南北道路の東側のフエンス沿いの交差道路に対面する位置には見通しを助けるミラーが設置されている。なお、本件事故当時、南北道路、交差道路とも速度規制はなされていなかつた。

2  本件事故当時、被告宮田は宮田車を運転し、交差道路から南北道路へ右折しようとして、右折の合図をしながら交差道路のほぼ中央で一時停止したが、右停止時の宮田車前部は南北道路の西側沿いに設置されているフエンスの延長線よりも西側にあつて、南北道路を通行する車両から直接宮田車を見ることはできない状態であつた。被告宮田は右一時停止ののち発進して、右にハンドルを切りながら交差点内に進入し、宮田車の運転席から南北道路の見通しが可能になつたときに、自車の右方約一四・七メートルの南北道路のやや左寄り(道路左端から約二・九メートルの位置)を北進してくる原告車を発見して衝突の危険を感じ、急制動をして宮田車の左前角と南北道路東端からの距離が約三・六メートルで道路西端(左端)からの距離が約三メートルになる位置で停止したが、停止するのとほぼ同時に右発見時の位置からほぼ直進してきた原告車の前輪が宮田車の左前角に衝突した。なお、被告宮田はミラーでは原告車の進行してくるのを認めていない。

3  原告俊一郎は、原告車の後部座席に友人の訴外狭川浩司を同乗させて南北道路を北に向かつて時速約四〇キロメートルで進行してきたが、本件事故現場を通つたことはあつたものの、事故現場が丁字型の交差点になつているという認識はなかつたので、交差点の手前で減速することもなく進行していたところ、交差道路から宮田車が出てくるのを発見し、急ブレーキを掛けるとともに右へハンドルを切つて衝突を避けようとしたが、間に合わずに衝突し、原告車と二名の乗員はその進行方向に向かつて斜め右前方約三・四ないし五メートルの位置に転倒した。なお、現場には原告車、宮田車のいずれのスリツプ痕も残つていなかつた。

以上認定の事実によれば、本件事故現場は丁字型の交差点であるから、南北道路を北進してきて右交差点を直進しようとする原告車については、南北道路が交差道路に対して幅員が明らかに広いとはいえないにしても、交差道路から右交差点に進入して右・左折しようとする車両との関係で左方車優先原則(道交法三六条)が適用されることはなく、従つて、交差道路から右・左折しようとする車両との関係では常に優先関係にあるものの、原告俊一郎はミラーも設置されている事故現場の交差点の存在自体さえ認識しないまま時速四〇キロメートルのままで全く減速せずにこれに進入しており、本件事故の発生については原告俊一郎にも過失があつたものというべきであるから、原告俊一郎の右過失を斟酌して前記寄与度減額をしたのちの損害額合計一八五八万二二七七円からその二割を減じ、原告俊一郎が賠償を求め得る額を一四八六万五八二一円(一円未満切り捨て)とするのが相当である。

七  損害の填補

原告俊一郎が、本件事故に基づく被告らに対する損害賠償請求権につき、被告らから五九〇万〇一三二円の支払を受け、自賠責保険からも七五万円を受領して、これを前記損害に充当したことについては、当事者間に争いがないから、右填補額計六六五万〇一三二円を差し引くと残額は八二一万五六八九円となる。

八  弁護士費用 八〇万円

原告俊一郎が、本件訴訟の提起及び追行を原告ら訴訟代理人に委任したことは訴訟上明らかであり、本件事案の内容、審理経過、認容額などに照らすと、本件事故と相当因果関係に立つ損害として賠償を求め得る弁護士費用の額は八〇万円と認めるのが相当である。

なお、前述のとおり、原告賀寛の慰謝料請求は認められないから、右請求権の存在を前提とする原告賀寛の弁護士費用の損害賠償請求もまた理由がない。

九  結論

以上の次第で、原告俊一郎の本訴請求は、被告らに対し、九〇一万五六八九円及びこれに対する本件不法行為の日である昭和六〇年一月一五日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、これを認容し、原告俊一郎のその余の請求及び原告賀寛の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条一項を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 笠井昇 本多俊雄 中村元弥)

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